05 西山の夜泣きさま
昔から農家では豊作の神としてお稲荷様を屋敷神に祀っていました。
高木村の西の端の高い所にあるので西山のダイさんと呼ばれている家のお稲荷さんは「夜泣きさま」といって村の人達に大変信仰がありました。それは子供が夜泣きをして困った時に背負ってお参りすると不思議と夜泣きがなおったからで、多くの人が五厘(昭和初め)のお賽銭を上げてお願いしていきます。由来は当家でもわからないということですが、お参りして一週間もすると、
「おかげさまでなおりました」
と油あげや豆腐を供えてお礼にいきました。
高い所にお社があるので赤ん坊をおんぶしたおばあさんは登っておまいりするのがとても大変でしたので、山道の下から拝んで帰る人もいたそうです。それでもご利益には変りなかったようです。
夜泣き礼願などする若いお母さんは少なくなった昨今ですが、時にはお賽銭のあがっていることがあります。なかには今でも願い事をよくきいてくれるからと、毎月欠かさず遠くからおまいりに来る人もいる
ということです。
毎年二月十一日にはお神酒・赤飯・油あげなど好物を供え、篠竹に紙の旗を立ててお祭をしています。
御当主の手造りの赤い立派なお社には、京都の伏見稲荷神社の分社であるという書付けが納められており、いかにもご利益がありそうです。
松山の中でどんどん開発されていくまちの発展を見守るように鎮座ましましています。
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